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【山陽小野田】産業遺産 硫酸瓶の風景をめぐる

三好邸瓶垣と皿山

まあるい瓶が連なる垣根は
街の歴史のひと幕

山陽小野田市の東南部にある旦(だん)地区。
ここを歩くと、写真のような風景を見ることができます。

茶色い陶器の瓶を積み重ねたこの「瓶垣」は地元の人にはおなじみですが、丸いフォルムが連なる様子がなんとも味わい深い存在。
使われている茶色い瓶は“硫酸瓶”といって、明治~昭和にかけて市内でさかんに作られていたものです。
そんな硫酸瓶をさがして市内を巡ると、至る所でその存在を確認。
硫酸瓶を探しながらこの街を深く知って、新しい発見をしませんか。

山陽小野田 硫酸瓶の歴史

硫酸瓶を作っていた“旦の皿山”

まちの硫酸瓶めぐり

①山陽小野田 硫酸瓶の歴史


【硫酸瓶】とは…
硫酸の運搬容器として山陽小野田で作られていた陶製の瓶。
旦地区の土と“来待釉(きまちゆう)”といわれる耐酸性の釉薬が使われています。
〈特徴〉
・中身がこぼれにくいように、フタはねじ式。
・重さ:空で約13~15kg、硫酸入りで約45kg
・最大容量:27ℓ(硫酸は25ℓ迄)
・島根の石州瓦と同じ釉薬“来待釉”を使用。
・最大直径35.2㎝、高さ50㎝

【硫酸瓶】の歴史
明治24(1891)年に、日本舎密製造会社 小野田工場(現:日産化学株式会社小野田工場)設立。
硫酸を生産するため容器が必要になり、地元の旦地区の土が耐酸性に富むことから試作され、明治26(1893)年に製造に成功。
昭和20年代に生産のピークを迎え、当時は全国シェアの7割を占めていたほど!
昭和30年代後半まで製造されました。

②硫酸瓶を作っていた“旦の皿山”

旦の皿山のはじまりは、江戸時代に都濃郡富田(現・周南市)出身の甚吉が、幕末の志士のひとりである前原一誠の父・佐世彦七の援助を受けて窯を開いたことから。
それ以来やきものを作る“皿山”として栄え、明治~昭和にかけて硫酸瓶や焼酎瓶を作っていました。
硫酸瓶には規格があり、そこに外れたものを再利用して作られたのが「瓶垣」です。


【お話を聞いたのはこちら】

山陽小野田市歴史民俗資料館

☎0836-83-5600
所》山陽小野田市栄町9-21
営業時間》9:00~16:30
 ※現在は12:00〜13:00は消毒のため入館できません。
定休日》月曜(祝日の場合その翌日も休館)、祝日、12/27~1/5
料金》入館無料
駐車場》あり
https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/rekimin/

掲載の内容は取材時のものです。メニューや価格、営業時間、定休日など、最新情報と異なる場合がありますので、事前にご確認をお願いします。

③まちの硫酸瓶めぐり

硫酸瓶の存在を知ったあとで山陽小野田のまちを巡ると、実は色々なところに硫酸瓶の姿があることに気づきます。
そんな“硫酸瓶スポット”を宝探しのように追いかけてみると、知らなかったまちの一面に出会えるはずです。

●小野田橋たもと

ひときわ目をひく巨大なモニュメントが目印。旦の皿山で作られた硫酸瓶を、この橋の近くから船に載せて出荷していたそう。 

●東沖緑地

南北に細長い6.1haの緑地公園。市民の方から提供された硫酸瓶を利用して作ったウォールがあり、描かれているのは市の風景。工場の煙突や海がのどかな雰囲気で表されています。
●所在地》山陽小野田市大字小野田字末広7525-6
●駐車場》35台
●問合せ》山陽小野田市東沖緑地管理事務所 ☎0836-83-3712

▼まだまだこんな光景も。


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